素敵な話

【 明石家さんまの壮絶な生い立ち 】

 


 

~ 生きているだけで丸儲けの本当の意味 ~

◇ 実母は、さんまが三歳の時に病死している。

◇ ( さんま兄が )小学校高学年の時に父が再婚、
さんまには歳の離れた弟( 故人 )ができた。

◇ 「 中学生くらいの頃は娯楽といえば、
三枝( 文枝 )のラジオ『 ラングタウン 』でね。
二段ベットでいつも二人で聞いてたんです。
新しい母には遠慮もしたし
やっぱり反発もあった。

その母が昔、隣の部屋で酒を飲みながら
『 うちの子はこの子(弟)だけや・・・ 』
って言うのが壁伝いに聞こえてきたんですよ。
二人でよう二段ベッドで泣きましたわ。
せらから高文は酒飲む女の人が苦手なんです。
芸能界行くまではほとんど飲まなかったし、
今も本質的に酒は好きじゃないと思います 」

◇ 元妻 大竹しのぶの連れ子に気を遣うさんま

◇ 継母の件があったから
さんまは元妻 大竹しのぶ の連れ子 ニチカを
すごく可愛がっている。

◇ 子供らに自分のことをボスと呼ばせているのも
ニチカに対する気遣いらしい。

◇ 家に帰ってくるとイマルより先にニチカに触っていた。

◇ 成長したニチカは慶應に進学。学生時代の友人と起業。

◇ 継母はずっとさんまを完全無視してて、
まるでさんまがそこにいないかのように
弟にばかり話しかける。
さんまはそれでも継母と仲良くしてもらおう、
反応してもらおうと、
毎日毎日必死で面白いことを考える。
そのウチ学校でもそのノリで暮らすようになって
一躍人気者、お笑いの道へ。

【 心が疲れないために大切なこと 】 1.頑張らない日を作る 2.「 疲れた 」と言葉にする。 3.休むことを後ろめたく思わない。 ...

◇ さんまの弟( 当時19歳 )は火事が原因で亡くなっている。

◇ 弟は実家の火災で亡くなった。
当時弟は高校生。
さんまは冠番組を持つほど人気があった。

◇ 「 ぼくのことを、昔から、すごく尊敬してくれるヤツでね。
ぼくがいうことは、すべて正しいと思っていたみたいですよ。
自分にも、それから他人にも、
素直に自分をさらけ出せるヤツでしたね。

ぼくもサッカーやったけど、ちびのほうがすごいんですよ
サッカー部のキャプテンで、インターハイにも出たし、
国体選手にも選ばれたしねぇ‥‥。

去年の10月、大阪のぼくのマンションに遊びにきたとき、
今度のワールド・カップをふたりで一緒に見に行こう。
キップはぼくが買っとくからって、約束しとったのに‥‥。
まだ納得できません、あのチビが死んだなんて‥‥。」

◇ 大竹しのぶの話をよくするのは
生立ちの話をしないためのバリアみたいなもの。
プライベート話をしているようでしていないと
付き合いの長い浅田美代子が発言していた。

◇ 日本航空123便墜落事故で、さんまは死んでいた?!

◇ 日本航空JAL123便墜落事故とは、
1985年8月12日に起きた単独機としては
世界最悪の犠牲者数を出した航空機事故である。
その数520名に及ぶ。

さんまは当日、東京のフジテレビで
「 オレたちひょうきん族 」の収録後、
当便で大阪へ移動し、
毎日放送「 ヤングタウン 」に出演予定であった。
だが、たまたま「 ひょうきん族 」の収録が
予定よりも早く終わったために、
123便をキャンセルし、
ひとつ前のANA35便と推定される便で
大阪に向かい難を逃れた。
さんまは事故当日の生放送のラジオレギュラー番組
では言葉を失うほどのショックを受け、
番組をこの事故の報道特番に切り替えた。

さんまはこの事故をきっかけに
新幹線で行ける範囲の場所(東京~大阪の往復等)へは
飛行機ではなく新幹線を利用するようになる。

 

◇ 生きてるだけで丸儲け
母と弟の死、そして自分自身も日航空機事故で
死にかけた経験から生まれた言葉。
さんまにとっては重い言葉なのである。

 

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さんまさんが、
こんな波瀾万丈な人生を送っていたとは
全く知りませんでした。

本当に辛い思いをたくさんしてきたからこそ、
あれだけ多くの人に笑いを届け、
幸せにすることが出来るのでしょうね^^

「 生きているだけで丸儲け 」

改めてこの言葉の意味を考えてみませんか。

 

出典:Facebookページより

嫌われたら嫌わせておこう。 他人が自分を嫌うかどうかは 他人の課題です。 嫌われないように相手に合わせて あげる義...

 

 

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perispapa
本業 = 派遣社員:時給 1000 円、 残業なし・賞与なし・退職金なし 、 第二の人生は、 遊んで暮らす計画をしています。 分散投資 = はじめました。
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