星野監督は多くの選手から慕われていますが、
その理由がわかる話を聞きましたので紹介します。
星野監督は小学生時代、岡山県倉敷市で過ごしていました。
同級生に、ジストロフィという重い障害を持った
定金正憲君という友達がいました。
彼は学校に行くのをいつも嫌がって
おかあさんを困らせていましたが
星野監督と同じクラスになってからは毎日
喜んで学校へ行くようになりました
星野監督が定金君を背負って登校してくれたからです。
定金君は放課後も楽しそうに
星野監督が野球をしている姿を眺めていました。
星野監督がどんなに練習が厳しくて疲れていても
練習が終わると、定金君を背負って彼の家に送って行きました。
雨の日には定金君が濡れないように、
リヤカーに乗せて連れて行ったそうです。
定金君との交流は、小学校卒業して大人になっても続きましたが、
残念ながら彼は41歳で亡くなってしまいます。
なくなる少し前にも定金は、
「 頑張ってください。優勝してください。いつも僕は見ています。」
と星野監督に話していました。
残念ながら星野監督が優勝したのは
定金君が亡くなった2週間後でしたが定金君のお母さんは、
「 息子は42歳まで生きてこれたのは、星野さんのおかげです
息子は、星野さんの活躍を見て、夢と希望をもらっていたんです
息子にとって星野さんは同級生で神様だったんです
息子は幸せだったと思います。感謝しています 」
と話しています。
星野監督は、
情熱の男
厳しい男
反骨の男
と言われていますが
反面この様な
優しい心を持ち合わせている
優しい人です。
その心が
見えない
魅力に
感じます
星野監督は幼い時に
父を亡くし、少年時代は裕福ではありません
お母さんが苦労して買ってくれたグローブ
これでグローブを借りないで野球ができると
喜んだそうです。
貧しい少年時代、友達のために尽くすことができたのは
元気に野球ができる幸せに気づいたからだと思います。