素敵な話

【 つもり違い・勘違い十訓 】

 

 

一、高いようで、低いのが (教養)
知識が豊富で難しい言葉を使えるからといって、それが本当の教養とは限りません。本当の教養とは、相手を思いやり、礼を尽くし、場の空気を読む力を伴ったものです。
「自分は教養がある」と思っている人ほど、実はそれを”ひけらかしている”だけかもしれません。

二、低いようで、高いのが (気位)
気位(きぐらい)とは、自分の信念やプライド。
表面上は控えめで腰が低く見えても、内は強い信念や美学を持っている人もいます。
気位は見た目に出にくく、むしろ「静かなる強さ」として現れるものです。

三、深いようで、浅いのが (知識)
知識を多く持っていても、単なる暗記だったり、表面的な理解にとどまっていることがあります。深く見えても、実際には応用できない、考察が足りない場合は「浅い知識」にすぎません。「知っていること」と「わかっていること」は、まったく違うのです。

四、浅いようで、深いのが (欲望)
ちょっとした欲のつもりが、いつしか深く根を張り、心を支配してしまうことがあります。「これだけでいい」と思っていたはずなのに、もっともっとと欲望が膨らむ。
人の心に潜る”浅そうで深い”落とし穴です。

五、有るようで、無いのが (反省)
人は「反省しています」と口にしても、実際には心から改めていないことが多いもの。言葉だけ、形だけの反省になっていないか、自分自身に問い直す必要があります。
「反省したつもり」で終わってしまえば、何も変わらないのです。

六、無いようで、有るのが (七癖)
「自分には癖なんてない」と思っていても、実際には無意識のうちに癖が出ているものです。言葉遣いや仕草、態度など、他人の目にはっきり映っていることも多々あります。
「癖のない人」ほど、自分の癖に無自覚ということも。

七、多いようで、少ないのが (分別)
「あの人は物知りで判断力もある」と思っていても、実は感情に流されていたり、表面的な判断しかしていない場合があります。本当の分別とは、「感情を抑え、冷静に物事を判断する力」 見た目や言動にだまされてはいけません。

八、少ないようで、多いのが (無駄)
「そんなに無駄遣いしてない」と思っていても、積み重ねれば大きな浪費になっていることはよくあります。時間・お金・労力の「ちょっとした無駄」が日常に潜み、気づかぬうちに大きなロスとなっているのです。
「少しぐらい…」の積み重ねには注意が必要です。

九、厚いようで 薄いのが (人情)
言葉や態度で「親切」「優しい」と見せても、本物とは限りません。表面的な人情や演出された優しさは、いざというときに薄れてしまいます。本当の人情とは、見返りを求めず、さりげなく自然にあらわれるもの。

十、薄いようで 厚いのが (面の皮)
「謙虚そう」「控えめそう」に見える人が、実は自分の非を認めず、厚かましい行動をとることもあります。面の皮が厚い=図々しい、開き直ってしまうような態度。
外見ではわからない「心の態度」には注意が必要です。

🌟 まとめ
この十訓は、「つもり」や「見かけ」に騙されるな、自分自身も慢心するなという深い戒めです。自分の心を省みるとともに、人を見る目も磨くための教えです。

 

 

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perispapa
本業 = 派遣社員:時給 1000 円、 残業なし・賞与なし・退職金なし 、 第二の人生は、 遊んで暮らす計画をしています。 分散投資 = はじめました。
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