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【 おかあさん、ぼくが生まれてごめんなさい 】

 

 


 

 

ごめんなさいね おかあさん

ごめんなさいね おかあさん

ぼくが生まれて ごめんなさい

ぼくを背負う かあさんの

細いうなじに ぼくは言う

ぼくさえ 生まれてなかったら

かあさんの しらがもなかったろうね

大きくなった このぼくを

背負って歩く 悲しさも

「かたわの子だね」とふりかえる

つめたい視線に 泣くことも

ぼくさえ 生まれなかったら

 

この詩の作者は、山田 康文くん。

 

生まれた時から全身が不自由で

書くことも話すことも出来ない。

養護学校の向野先生が

康文くんを抱きしめ投げかける言葉が

康文くんのいいたい言葉の場合は、

ウィンクでイエス、

ノーの時は康文くんが舌を出す。

 

出したの「ごめんなさい おかあさん」

だけで 1ヶ月かかったという。

気の遠くなるような作業を経て、

この詩は生まれました。

この母を思いやる

切ないまでの美しい心に対して、

母親の信子さんも

彼のために詩をつくりました。

 

わたしの息子よ ゆるしてね

わたしの息子よ ゆるしてね

このかあさんを ゆるしておくれ

お前が脳性マヒと知ったとき

ああごめんなさいと 泣きました

いっぱい いっぱい 泣きました

いつまでたっても 歩けない

お前を背負って 歩くとき

(肩にくいこむ重さより)

「歩きたかろうね」と母心

” 重くはない ” と 聞いている

あなたの心が せつなくて

 

わたしの息子よ ありがとう

ありがとう 息子よ

あなたのすがたを 見守って

お母さんは 生きていく

悲しいまでの がんばりと

人をいたらる ほほえみの

その笑顔で 生きている

脳性マヒの わが息子

そこに あなたがいるかぎり

このお母さんの心を受け止めるようにして

康文くんは、先に作った詩に続く詩を

また作りました。

 

ありがとう おかあさん

ありがとう おかあさん

おかあさんが いるかぎり

ぼくは 生きていくのです

脳性マヒを 生きていく

やさしさこそが 大切で

悲しさこそが 美しい

そんな 人の生き方を

教えてくれた おかあさん

おかあさん

あなたがそこに いるかぎり

康文くんは、重度の脳性マヒで

8歳の時、

奈良の明日香養護学校に入学しました。

 

不自由児のための特殊学校で、

康文くんも母子入学でした。

康文くんは明るい子で、

クラスの人気者になりました。

1975年4月には、体の不自由な子供達が集う

「タンポポの会」が

「わたぼうしコンサート」を開き

康文くんの詩が披露されました。

このコンサートは

テレビ・ラジオでも取り上げられ

森昌子さんが康文くんの詩を歌いました。

このコンサートのあと、

康文くんは突然天国に行ってしまいました。

窒息死でした。

横になって寝ていたとき、

枕が顔を覆ってしまったのです。

15歳の誕生日を迎えた直後だったそうです。

康文くんの先生で、

この本の著者の向野 幾世さんは

復刊にあたって

 

あの子の詩は障碍者が『ごめんなさいね』

なんて、言わなくてもすむような

世の中であってほしい、というメッセージ

 

今もこうして皆さんの心に、

呼びかけているんですね。

 

いま、障碍者の問題は、

高齢者の方たちの問題でもあります。

 

『老いる』というのは、

障害が先送りされているということ。

 

歳をとると、

足腰が不自由になって

車椅子が必要になったり

知的障害になったり・・・

健常者の方も、

たいていはいつか障害者になるんですよ。

 

だから康文くんたちは私たちの先輩。

世の中をより良くするよう切り開いてきた

パイオニアなんです

と・・・

 

 

向野 幾世著

『 おかあさん、ぼくが生まれて ごめんなさい 』より

 


 

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perispapa
本業 = 派遣社員:時給 1000 円、 残業なし・賞与なし・退職金なし 、 第二の人生は、 遊んで暮らす計画をしています。 分散投資 = はじめました。
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